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田部元代表の記事が毎日新聞に掲載されました!

2017/08/10

 当センターの元(初代)代表で、被爆者でもある田部正行を、毎日新聞広島支局の山田尚弘記者が、数回にわたって取材した記事が、8月3日付広島版に大きく掲載されましたので、ご紹介します。


   ※以下、WEB版の記事テキストを転載します。
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被爆体験
   「核も原発も駄目だ」 乳児で手足まひ、さらに被爆 88歳の田部さん、数年前に /広島

   「ゲンバク、ゲンバク……」。東区の公営住宅に住む被爆者の田部正行さん(88)は、「当時の思い出を語ってほしい」と尋ねる私(記者)に対し、同じ四文字の言葉を繰り返した。田部さんの介護を担当して7年目になる訪問介護職員の山田拓さん(33)は「体力が持たず、長い文章を話すことはほとんどない」と残念そうに話した。
   田部さんの手記によると、田部さんは早産だった影響からか、生後半年ごろから手足の硬直が始まり、まひの障害が残った。72年前の8月6日、16歳で爆心地から約1・8キロの広島市舟入川口町(現中区)で原爆の閃光を浴びた。自宅の縁側で新聞を読んでいた際に飛行機が近づくような音を耳にしたという。「B29だ!」。そう思って顔を上げた瞬間、黄金色の光とともに天井が落ちかかってきた。
   暗闇の中、首に傷を負った母孝子さんに背負われて自宅近くの畑に避難し、一命を取り留めた。一家は1年半ほど、壊れた家屋で過ごし、孝子さんは近所で団子や芋などの露店を開いたりして一家の生計を支えたという。
   山田さんは数年前、まだ会話ができた田部さんが当時を振り返る話を聞いたことがあるという。「被爆体験を語った後、『核は廃絶しないといけない。原発も駄目だ』と力を込めていた」と振り返る。

 障害と被爆。二つの試練を乗り越えた田部さんがどのように生きてきたのか、今は想像するしかない。被爆者の平均年齢が81歳を超え、その貴重な肉声を聞く時間が失われている現実を思い知らされた。【山田尚弘】